「最後だとわかっていたなら」という詩をご存じでしょうか。
10歳の息子さんを亡くされたお母さんが書いたもので、
明日は誰にも約束されていないのだから、
日々、感謝の気持ちを伝えていれば、
最後の日が来ても、後悔はしないだろうという内容でした。
(気になる方はぜひ、調べてみて下さい。)
最後の日を迎えたあとも、
この詩はより大きく、心に響いています。
その日は父と、母の病院へ行きました。
母は少し息が苦しそうで、
咳が止まらなくなり、看護師さんに来てもらいました。
「お母さん、代わってあげたいけど、もうちょっとの辛抱だからね」
「体も少しずつ、ちゃんともとにもどるからね」
母の体について、私が伝えられることはそれだけでした。
主治医さんからは、
脳梗塞のため、体はもう動かせないだろう、
食事も口からは食べられないだろう、
癌はモルヒネを使った緩和ケアに移行していくという
説明をうけていましたが、
来週にも退院する気満々の母には言えなかった。
一緒に退院する気持ちでいたかった。
今母を絶望させてしまったら、
母はどこにも気持ちの持っていきようがない。
母の周りには希望だけ置きたい。
そんな気持ちでした。
一方父はというと
「喫茶店でコーヒー飲んでくる」
と言って早々に出ていき
帰ってきたかと思うとウロウロして落ち着きがなく
「頑張りよ」と声を掛けたぐらいか。
私には「お母さんが早く復活しますように」などと
言っていたけれど、面と向かうと・・
父はこれがもう精いっぱいだったのかな、と思うけれど。
でも。
私は見た。
母が、ウロウロしている父を
どこか懐かしむような眼差しで見ていたことを。
これが父を見る最後になってしまったのだけど
どこかでわかっていたのかな。
あの「最後だとわかっていたなら」の詩のように、
感謝を伝えるなんてことはしなかったけど、
父と母は、それなりに充分だったと思う。
そして90歳の父を、車で病院に連れてきて、
母が亡くなる1日前に会わせてあげられた自分を
今は、ほめてあげたい。
第20話 父、最後の面会
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