2019年5月14日。
ポストに入っていたお手紙を、早朝に読む。
年の始めに、母親を亡くされた会社の先輩からだった。
「最後の1か月、私はものすごく忙しくて、
母のそばになかなかいてあげられなかった。
あなたはどうしても、今のお母様のそばにいてあげて。
自分のことは二の次でも。」
先輩の表情が手に取れて見えるようだった。
私はしばらくの間、便箋を、穴が開くほどじっと見つめた。
この日は朝、子供を送って歯医者にいき、
父のところに寄った。
「これからお母さんとこに行くけど、一緒に来る?」
父は行かないという。
ふーん、じゃあ行ってくるね、と実家をあとにした。
私は母がベッドで退屈しないよう、前日に
風景写真やお洒落な服の写真など、一つの大きなボードに貼った。
それを抱え、母がいいねと言っていた赤いシャツを着て、
心をいっぱい元気にして病室に入った。
看護師さんは気さくに挨拶してくれた。
だが、母は息が苦しそうだった。
そして、目がなかなか開けられずにいた。
私が来たことは分かっていて、
一生懸命に目を開けようとしていた。
今までにこんなことはなかった。
いろんな困難はあったがそことは違う、何かがあった。
その時、専門医さんが入ってきて、
重い表情で「肺炎です」と言って出て行った。
(何か説明してくれたかもしれないが忘れた)
ああ、また肺炎になってしまったか。まいったな。
そう思いながらなんとなしに、
「看護師さん、今晩私ここに居たほうがいいでしょうか?」と聞いた。
看護師さんはさっきと違う表情で間をおいて「うーん・・」
「もしかしたら・・」と言う。
さっきまで荒かった母の呼吸がだんだん穏やかになってきた。
「これはあまり良くないです」
「お母さん、私今晩ここに泊まるからね」
そう言い残して電話をかけに食堂へ行った。
「もしもし、お父さん。お母さんがもう危ない。
タクシーで病院に来てくれる?」
もう間に合わないかもしれなかった。けれどこうするしかない。
看護師さんが食堂まで来る。「そろそろ戻ってください」
慌てて戻ると、婦長さんがにこにこしてそばに座っていた。
どう見ても、これからお見送りのような雰囲気・・
覚悟はしていたが、気持ちが状況についていかない。
「大丈夫ですからね、手を握って声を掛けてあげてください」
大丈夫だ、大丈夫だと、いつまででも言いたかったけれど、
もう、母にはちゃんと言わなければならない。
時間はもう僅か。
私は、絶対に言いたくなかった挨拶を、はじめて母にした。
「お母さん、ありがとう!!私らみんなで、頑張るからね!!
私がそっちに行ったら、迎えにきてよ!!」
必死だった。
「お母さん!最高のニュースがある!!
お母さんの病気、今からひとつ残らず、きれーいに治るから!!」
婦長さんも一緒に「そう!!全部消えて良くなる!!」
「もう心配せんでいいから!楽になるよ!!
良かったね!!」
母の好きな音楽が流れる中、
主治医さんが時計を見せてくれた。
「4時9分、死亡が確認されました」
何もできない自分がはがゆかったが、
母は穏やかに旅立っていった。
私は皆さんにお礼を言い、
その後は看護師さんの指示のもと動いた。
いろいろなことを教えてもらい、家に帰る車の中、
ラジオをつけた。
びっくりするような大音量で
ドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」が流れた。
ケセラセラ、なるようになるさ・・
父が元気をだすためにつぶやいていた言葉だった。
曇り空には大きな虹が出ていた。
涙とか叫びとか、感情のすべてがそこに出ているかのようだった。